
最初の屯田兵屋を当時の姿に復元したい
琴似神社境内にある「琴似屯田兵屋」は、北海道で最初の琴似屯田兵のために明治7年に建てられた現存する唯一の遺構です。北海道の歴史、ひいては日本近代史上の貴重な歴史遺産ですが、老朽化が進み閉鎖状態となっています。また建設時には6畳と4畳半だった和室が、8畳と4畳半に改築されたことも明らかになりました。
令和7(2025)年は琴似に屯田兵村が設置されて150年の節目です。本プロジェクトは、「琴似屯田兵入村150周年記念事業」の一環として、屯田兵屋を建設時の姿に復元することを目指すものです。復元には多額の費用がかかることから、みなさまから広く寄付をお願いしています。琴似屯田の歴史を正しく後世に残すためにどうかご協力ください。
今なぜ琴似屯田?
明治8(1875)年、北方の防備と開拓を兼ねた屯田兵最初の部隊が、琴似に配備されました。屯田兵たちは、朝4時の起床ラッパとともに起き、軍隊としての厳しい訓練を終えた後に原野に分け入って開墾を続けました。
それから150年、日本は世界3番目の先進国となり、北海道は欧州並みの豊かな大地に、札幌は日本有数の大都市に成長しました。この礎を求めると、屯田兵たちの尊い血と汗の努力にたどりつきます。屯田兵がなければ、まったく違った日本、北海道、札幌だったでしょう。
先人に対する感謝の気持ちは、まちづくりの最初の一歩です。今の私たちのこの地を豊かにしたいと思う努力は、後世の人たちの感謝に繋がるからです。私たちは、琴似屯田150年という節目だからこそ、失われつつある世代を超えた感謝を思い起こす契機にしたいと、このプロジェクトを立ち上げました。
今なぜ兵屋復元?
琴似神社に残る屯田兵屋は、日本で最初の屯田兵の遺構として、その価値は計り知れません。一見和風建築に見えますが、洋風建築の技法も取り入れられており、明治初期の和建築と洋建築の接点として建築史的にも貴重です。
そして琴似屯田150年を契機とした調査で、建築後に和室などの改修が判明しました。琴似屯田兵屋はその後の屯田兵屋のモデルであるのに、琴似だけ間取りが違うことは長い間謎でしたが、この調査によって謎が解けたのです。
高い歴史価値を持つ兵屋ですが、現在閉鎖状態です。この状態が続けば、喪失の恐れもあります。そこで琴似屯田150年記念事業として修復を発起しました。それも単なる修繕ではなく、建築当時の姿に復元することが、私たち世代の責任と考えました。
復元には多額の費用を必要とします。多くのみなさまから少しずつのご支援をいただき、私たちの世代の責任を果たしたいと考えます。ぜひともご協力ください。
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屯田兵とは?——北を守り・北を拓く
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琴似をつくり、北海道を導いた琴似屯田
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8畳から6畳へ——歴史遺産の完全復元に向けて
琴似神社境内にある屯田兵屋は、明治7(1874)年11月に屯田兵村設置に先だって建設された208戸の一つで、兵村番号140番の佐藤喜一郎さんに給付された現存する唯一の遺構です。もともとは現在地から東北方向に約400メートル離れた場所にありました。
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復元プロジェクトの仲間を募集しています。
屯田兵屋復元のため周知活動や募金の呼びかけ、クラウドファンディング運営などをお手伝いいただける方を募集します。屯田兵の子孫でなくても広く参加を呼びかけています。
募金協力のお願い先をご紹介ください
修復には千万円単位の費用が必要です。このプロジェクトの趣旨に賛同し、募金等のご協力をいただけそうな方、企業・団体などをご紹介ください。
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